中国語入門に理解を深めよう
「教える」ことになると、教材をどうするか、計画をどのように立てるかなどと考えることもすることもたくさんある。
しかし、「育てる」となるとどうするのか。
ましてや、子どもが自分で「育つ」などと言い出したら、教師など不要ではないか。
子どもが勝手に育つのなら、放っておけばいいのではなかろうか。
ところがそうとはいえないのである。
「育」のために教師は何をなすべきかを、次に考えてみることにしよう。
「よい子」だった子が後で苦労することを先に述べたが、そのような子がどのようにして自分の力を回復するかについて、例をあげて考えてみょう。
たとえば、私がずっと以前に経験した例に次のようなことがあった。
小学校四年生のA君は優等生だったが、小さいことが気になってなかなか勉強できなくなった。
字も少し書きまちがうと、ノートを破って書き直す。
宿題を終わっても他にもあったような気がして母親に頼み、何度も先生に電話をして確かめる。
何かというと汚ないと言って手を長い間洗っている。
すべてがこのような調子で、困り果てて母親がA君を連れて相談に来られた。
それではA君に対して何をすればいいのか。
一番効果的な方法は「遊び」である。
私はA君と遊ぶことにする。
と言っても、一番大切なことは時間と場所の制限以外は、まったく自由にすることである。
「何をしてもいいよ」と言うと、A君はぽかんとしている。
それまでは親か先生か、ともかく大人の言うとおりのことをして「よい子」だとほめられていた子だから、急に「何をしてもいい」と言われても彼はびっくりしてしまって何もできないのである。
しかし、しばらくするとA君は動きはじめる。
何かの玩具に触れたり押したり、そして何かが倒れて「ガタン」と音をたてると反射的に私の顔を見る。
そのときに、これは何をしても大丈夫らしいぞと感じると、A君の行動が少し大胆になってくる。
最初の一時間はこのようなことで終わるが、毎週通ってくるうちに彼はだんだんと元気になり、小学四年生らしい活発さがでてくる。
そして、私に対してドッジボールの勝負をいどみ、ボールを力一杯投げつけてくるようにさえなる。
もちろん、こちらも頑張るので、汗まみれの戦いになる。
詳しい経過については省略するが、このようにしてA君は問題を乗り越えてゆくことができた。
子どもたちの変化があまりに著しいので、親御さんが「いったい、先生はこの子に何を言い聞かせて下さったのですか」と言われることがある。
われわれは何も「教え」てなどいない。
ただ遊んだだけである。
それほど「遊び」というものは、すばらしいのである。
その「遊び」に「勉強」が混じったり、「仕事」がはいってきたりするところが、子どもの遊びのいいところなのであるが、遊びの本来のよさである自由な表現というところを忘れてしまって、大人が子どもに遊びという「勉強」を押しつけてくると、遊びの大切さは壊れてしまう。
大人たちはどうしても「教える」ことが好きで、遊びのなかでさえ何か教えることを持ち込んできたがるのである。
関心をもって見守る遊びが大切だからと言っても、たとえば先はどのA君に対して、「どこへでも行って好きなように遊んでいなさい」と放っておいても、よくはならないのである。
そこに私がいるということは、思いのほかに重要なのである。
自分の行為に関心をもって見守ってくれる人が存在することによって、その子どもに潜んでいた可能性が動きはじめるのである。
自由ということを誤解する人は、子どもを放任しておくとよいと思っている。
しかし、それでは駄目である。
子どもの傍にいて、関心をもって見守ってくれる人がいることが、子どもの自己実現の力が表出されてくるための要件なのである。
「関心をもって見守る」ことは、簡単なようで難しいことである。
子どもが何をしようと勝手と決めこんでいると楽であろう。
ところが、関心をもって見ているとつい「手出し」をしたくなってくる。
あるいは「教え」たくなってくる。
たとえば、砂を掘っている子がいるとする。
すると、「手で掘らずにスコップを使ったら」と言ってみたり、「砂をまき散らすと、まわりの人が困るよ」と言いたくなってくる。
そのときに、手出しをせずに見守っているのは、案外むずかしい。
しかし、よく見ていると、子どもが砂を掘るだけではなく、その手ざわりの感触を楽しんでいることがわかってきたり、家で極端に清潔にされている子が、砂で手がよごれることを喜んでいたりすることもわかってくる。
あるいは、砂をとばして周囲の子にかけたので、「アレッ」と思っていると、砂をかけられた子が怒らずに寄ってきて穴掘りを手伝ったりすることもある。
砂がかかって、けんかになるが、けんかを機会に子どもたちが仲よしになることもある。
手出しをせずに子どもたちを見守っていると、「うーん」と感心させられるようなことが起こったり、まったく思いがけないことに発展して、子どもってすごいもんだな、と感心させられたりする。
子どもは大人が普通に思っているより、はるかに子ども同士でものごとを解決する力をもっているものである。
「見守る」ことがいいと言っても、次のような場合はどうだろう。
今までおとなしいと思っていた子が木に登りはじめる。
元気になったのはいいとして、この子が落ちてけがをすると、教師の管理責任を問われることになる。
どうするか、などと考える前に「やめなさい!」と、とめてしまう人も多いのではなかろうか。
そのようなときに、せっかく今まで元気のなかった子が「腕だめし」をはじめたのだから、もう少しやらせてみよう。
少しぐらいのけがなら大丈夫だろうとか、ともかく近くにいて、あまりに危険なときには止めよう、とか判断しなくてはならない。
また、子どもの行為があまりに危険なときはすぐに中止させる必要がある。
このようなときに全体的状況を見て決断する力を、教師は養っていなくてはならない。
先の木登りの例からもわかるとおり、子どもの自主性、個性を育てようと思うかぎり、ある程度の危険は避けられない。
本当に価値あることで危険性がないことなど、世の中にはあまりないのである。
教師の「危険に対する許容度」が高いと、子どもは案外事故を起こさないものである。
逆に、何でもかでも「やめなさい」、「危ないよ」などと連発する教師のもとでは、子どもがよく事故を起こすものである。
一般的に言って、子どもの自由をきつく制限したがる教師は、自分自身に不安の高い人が多い。
したがって何に対しても、「危い」と感じてしまうのだが、そのような態度が子どもを刺激して、かえって不安定さを強くしてしまい、事故が増えるのである。
このように考えると、教師は外から見ると何もしていないように見えながら、心のなかでは大いに仕事をしていることがわかるのである。
あっちへ行っては「やめなさい」と言い、こっちへ行っては「こんなふうにしてはどう」と教え、大活躍をしているように見える先生は、「専門家」とは言えない。
「あの子、あれで大丈夫かな」、「けんかをしているけれど、もう少し子どもたちにまかせてみよう」などと心の中が大車輪で動いていても、落ちついてそこにただいるだけというのが、理想の教師と言えるのではなかろうか。
以上のようなことを読んで、そんな悠長なことはできたものではないと思う人も多いことだろう。
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